
◆正午山房通信
「正午山房」は俳人原石鼎の終の栖で、鹿火屋代々の主宰が住みなしたところ。
原裕が午年の正午の生まれであったことから名づけられました。
四季と向き合う俳句のひとこまをお届けします。
4月1日は、鹿火屋四代目主宰、原和子の忌日です。
今年はこの日たまたま小田原方面に行くことがあり、
満開の桜の中、車を走らせながらあの日のことをあれこれ思い出しました。
折しも陰暦2月16日の西行忌にあたり、歌僧西行に導かれながら
桜の門をくぐってあの世に行ったのなら、冥福が待っているに違いないと思いました。
寂しいことに変わりありませんが、この先はもう病に苦しむことは
ないのだと思うと安堵感もありました。
花月夜父母すでに疾(やまい)なし 朝子
は、後年その思いを句に詠んだものです。
初代石鼎の戒名には花が、四代目和子の戒名には桜が入っています。
それは、
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月 石鼎
残照に散るを怺へしかさくらな 和子
から採られています。
石鼎の桜は吉野山中の桜、和子の桜は根尾谷の桜ですが、
私には大きな影を落とす桜も残照の中にある桜も一本の木です。
それはわが町を流れる葛川のほとりの桜の木。私が小学校の頃、
この桜を眺めながら登校していました。
聞くところによれば、母と同年代の方が小学生だったころからv
この桜は大樹だったそうです。
この桜の対岸にも桜の木があり、花が咲くと両岸に対座する桜は、
互いに呼び合っているようにも見えました。
実はこの桜の大樹は伐られてしまい、今は対岸の桜のみとなってしまいました。
町中が桜色に染まると、長興山の桜が気がかりになります。
長興山の枝垂桜はコウ子と裕が好きな桜でした。
頭頂の花芽を待てる枝垂桜(さくら)かな 裕
鳥帰る花散る花をくぐりては コウ子
裕の句は、花の咲く寸前の紅潮した桜の木を詠んだものであり、
コウ子の句は散り始めた桜を詠んだものです。
こちらは、唐実桜こと桜桃の木。
鳥が運んでくれた実生の木です。
今年は、愛らしい花をたくさんつけ、もう枝先には青い実がつき始めました
(23・4・4 原朝子)


◆艸たろ館展示のご案内
艸たろ館は、大正13年に建てられた道山家の土蔵を改築したもので、
須賀川の俳諧の系譜をたどることを目的とし、
主に俳句関係の軸装、色紙、短冊をテーマごとに展示している。
道山家は、子規の「はて知らずの記」にも登場する須賀川の名望家である。
桔槹創刊百年を記念して母体であった俳誌「鹿火屋」創刊の主宰、原石鼎、
その妻であり二代目主宰であったコウ子、
道山草太郎友人で「桔槹」「鹿火屋」同人でもあった白河の画家、
大竹仰峰の三人展を令和4年4月20日~6月30日まで開催しております。
是非ご覧下さい。おいでの際はお電話をいただければ幸いです。
道山はるか(090-2157-7592)




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