
◆正午山房通信
「正午山房」は俳人原石鼎の終の栖で、鹿火屋代々の主宰が住みなしたところ。
原裕が午年の正午の生まれであったことから名づけられました。
四季と向き合う俳句のひとこまをお届けします。
昨年の11月15日、久々に深吉野を訪れる機会に恵まれました。
初冬のこともあり、山村の寒さが案じられたのですが、幸い小春日和になり、
紫がかった山並が迎えてくれました。
原石鼎の深吉野での生活を支えて下さった鍵谷家の末裔の方と会い、
一緒に石鼎ゆかりの旧跡を巡り、楽しいひと時を過ごしました。
深吉野に石鼎の句碑は三基あります。
まず、岨道の傍らにある
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月 石鼎
かつてあった山桜の木は見当たりませんでしたが、句碑に残る「花影」の文字に青年石鼎に出会った思いがしました。
丹生川上神社には、
頂上や殊に野菊の吹かれ居り 石鼎
があり、この句碑に寄り添うように
風の詩を碑として神凉し 芳春
の句碑が建っています。深吉野の美しい師弟句碑です。
鍵谷芳春は、「頂上や」の句は、野菊の句ではなく風の句だと固く信じていたようです。
そういえば、出雲にも「頂上や」の句碑がありますが、
この句碑建立の折、石の面に風のような文様が現れて当時話題になったことが思い出されました。
旧居前には
かなしさはひともしごろの雪山家 石鼎
があります。石鼎が母郷を偲んだ句の碑は出雲の方角を向いて建っています。
旧居の隣の天昭寺にもお参りしお経をあげてもらいました。
そして、もう一基、忘れてならないのは
あるときは一木に凝り夏の雲 裕
です。坂を上がって久しぶりに句碑に再会したのですが、
ここは鹿の集会場となっているらしく、丘城址には鹿の糞(まり)がたくさん零れていました。
鹿火屋の原風景にはやはり鹿はつきもののようです。
夕刻前には深吉野を離れました。突然、雨がぽつぽつと落ちてきて、
水分の神(みくまりのかみ)の言伝のようでした。
ふと、石鼎が深吉野を離れたときの心情が空模様になって現れたのではないかと思いました。
郷を出る人に深吉野しぐれかな 朝子
(25・1・11)
◆艸たろ館展示のご案内
艸たろ館は、大正13年に建てられた道山家の土蔵を改築したもので、
須賀川の俳諧の系譜をたどることを目的とし、
主に俳句関係の軸装、色紙、短冊をテーマごとに展示している。
道山家は、子規の「はて知らずの記」にも登場する須賀川の名望家である。
桔槹創刊百年を記念して母体であった俳誌「鹿火屋」創刊の主宰、原石鼎、
その妻であり二代目主宰であったコウ子、
道山草太郎友人で「桔槹」「鹿火屋」同人でもあった白河の画家、
大竹仰峰の三人展を令和4年4月20日~6月30日まで開催しております。
是非ご覧下さい。おいでの際はお電話をいただければ幸いです。
道山はるか(090-2157-7592)
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