◆正午山房通信
「正午山房」は俳人原石鼎の終の栖で、鹿火屋代々の主宰が住みなしたところ。
原裕が午年の正午の生まれであったことから名づけられました。
四季と向き合う俳句のひとこまをお届けします。
今年の二百十日の厄日は、八月三十一日。
前日は大雨になり、町内を流れる葛川が氾濫しました。
厄日は立春から数えて二百十日目のことで、天候による災難が多い日とされます。
十日後の二百二十日とともに台風が襲来する日としても知られています。
台風にこそ見舞われませんでしたが、暦通り大雨が災難をもたらす日となりました。
わが家は葛川から離れたところにありますが、
八月三十日、三十一日の二日間は西側の山道に設置された下水を流れる激しい水音が聞えました。
排水口近くのアスファルトがめくれ上げる程で、裏山から流れ出た水の凄まじさに息を吞みましたした。
葛川の出水はニュースになり、かなり広範囲に知られることとなりましたが、
地元の古老の方々の話では葛川の氾濫はさして珍しいことではなく、
過去にもしばしば出水があったとのことです。
それから一週間余りたった日が九月九日の重陽の節句。
「登高」といって、高い場所に登り、災難を避けて長寿を願う日です。
思い立って箱根に行くことにしました。
箱根新道を下りて道を下ると、樹間に青々とした芦ノ湖が見えます。
湖岸に沿って走り、箱根神社でお参りをしました。
神社近くの湖岸を歩いていると、胸中が洗われる思いがします。
邪気が払われ、清々しい気分になりました。
これも「登高」の効用の一つなのでしょう。
箱根神社で受けたお守りを胸に帰途に就いたのですが、何か忘れ物をしている気がしました。
ふと、成川美術館の看板が目に入り、やはり立ち寄りたくなりました。
展望室から眺める箱根の風景は格別です。父原裕がよく座っていた場所に坐り湖を一望しました。
生憎、富士山は雲の中でしたが、紅葉の先駆けのような赤い鳥居が目に映りました。
重陽の節句は本来は旧暦の九月九日、新暦では十月十一日に当ります。
この日は、父の誕生日、となればあの日の箱根行きは父が導いたものかもしれないと思えました。
(24・10・8)
◆艸たろ館展示のご案内
艸たろ館は、大正13年に建てられた道山家の土蔵を改築したもので、
須賀川の俳諧の系譜をたどることを目的とし、
主に俳句関係の軸装、色紙、短冊をテーマごとに展示している。
道山家は、子規の「はて知らずの記」にも登場する須賀川の名望家である。
桔槹創刊百年を記念して母体であった俳誌「鹿火屋」創刊の主宰、原石鼎、
その妻であり二代目主宰であったコウ子、
道山草太郎友人で「桔槹」「鹿火屋」同人でもあった白河の画家、
大竹仰峰の三人展を令和4年4月20日~6月30日まで開催しております。
是非ご覧下さい。おいでの際はお電話をいただければ幸いです。
道山はるか(090-2157-7592)
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