◆正午山房通信

「正午山房」は俳人原石鼎の終の栖で、鹿火屋代々の主宰が住みなしたところ。
原裕が午年の正午の生まれであったことから名づけられました。
四季と向き合う俳句のひとこまをお届けします。

梅雨のない夏は本当に苛酷で長く感じられました。
立秋、処暑と秋がすすんでもなかなか夏の炎暑は去りませんでした。
しかし、夜になると虫の声が立ち始め、立秋までに美しい音色を聞かせてくれるようになりました。
朝夕に海風と山風の入れ代わる凪が訪れますが、朝凪になると、
それまで鳴いていた虫の声が消えて、代わりに蝉の声が立ち上がってきます。
一方、夕凪になると、蝉の声が止んで虫の声が聞かれるようになります。
かつて夜中まで蝉が鳴き騒いでいたのが嘘のようです。
夏の夜に秋の風情を見出す季語に「夜の秋」があります。

   粥すゝる杣が胃の腑や夜の秋  石鼎

は深吉野の作で常食の粥がすすむ杣の姿を詠んだものですが、
虚子がこの句から「夜の秋」を夏の季語に定めたとされています。
今年は昼間が暑かった分、夜の秋の気分を存分に楽しめた気がします。
隣家の蘇峰堂の庭がすっかり整地され、しばらくは土があらわになっていたのですが、
夏草の勢いはすさまじく、すっかり草に埋めつくされてしまいました。
中でも狗尾草(えのころぐさ)の勢いがものすごく、一面、狗尾草の野と化しました。
仔犬の尾に見立てられる草が一斉に立ち上がり風に揺れる風景は優しく、
懐かしく、微笑ましいものがあります。
秋が近づくと、天空には白い小石を敷きつめたような鱗雲が現れて、
秋が近づいていることを知らせてくれます。
地上がどんなに暑くても天空には秋の気が訪れているのを感じるのですが、
今年はまだ本格的な鱗雲は見ていません。
まだまだ夏の炎帝が陣を解いてくれないようです。
それでも台風の襲来により、かなり雨が降ったので、いくぶん秋らしい雰囲気にはなりました。
地上の動植物は、けなげで私たちに季節の移り行きを教えてくれます。
季節の移り行きにいちばん鈍感なのは人間で、自然界の変化によってようやく気づかされます。
温度計を眺めてため息をつく暇があったら、自然に触れて秋の訪れを探してみてはどうでしょう。
意外と秋は広がっているのかもしれません。
                                原  朝子
                               (25・9・12)









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