◆正午山房通信

 「正午山房」は俳人原石鼎の終の栖で、鹿火屋代々の主宰が住みなしたところ。
原裕が午年の正午の生まれであったことから名づけられました。
四季と向き合う俳句のひとこまをお届けします。

 梅雨に入りました。
夏の最中に迎える梅雨は、春夏秋冬に続く第五の季節ともいわれています。
『歳時記』では、春・夏・秋・冬・新年の五つに分かれていますが、
自然界の移ろいで見れば、春・夏・秋・冬・梅雨になるのかもしれません。
梅雨は梅の実が黄色に色づくことから名づけられた雨の名だとされます。
わが家の梅の木の実が黄色に色づいて落ちるころ、入梅が宣言されました。
梅雨は暦の上でも決められていますが、今年はそれより四日ほど早かったことになります。
入梅の日、雨の中で鳴く時鳥が聞かれました。
裏山ではまず鶯が鳴き、それからしばらくたってから時鳥が鳴きます。
どちらの囀りにもケキョケキョというフレーズがあり、
同種類の鳥が鳴いているようにも思われますが、よく聞いてみると、
鶯と時鳥では声の響きが全く違います。
鶯は大らかで明るく、時鳥は切迫していて暗いというのが私の印象です。
これは心の状態や好みにもよるところでしょうが、私は鶯の声に親しみを覚えます。
夏の鶯は「老鶯」とも言われ、やがて鳴かなくなる「鶯音を入る」という時期を迎えます。
これは全く鳴かなくなるのではなく、地鳴きに戻ることをいいます。
しかし、囀りを止める直前の鶯の声は実に艶やかで美しく、殊に雨の中で歌うと、
その艶やかさが増幅して聞こえます。
「老」とは年を取るというだけでなく「老練」の「老」、つまり熟練するという意味もあります。
「老鴬」は本来、熟練した囀りを聞かせる鶯の意味に取るべきでしょうが、
どうも年寄のイメージが先行してしまうようです。
あるとき家人と裏山の鶯と鎌倉山の鶯とでは囀りが全く違うと言っていたら、
数年後、急に巧くなったので、鎌倉にでも習いに行ったのかしらなどと笑い合いました。
実は、鶯の囀りの美醜は学びによります。
つまり、周囲に美しい声で囀るものがいればその美しい声が伝えられていくのです。
江戸の元禄時代の頃から「鶯の付子(つけご)」という風習がありました。
これは、鶯の雄の雛を捕まえて来て声のよい鶯をその雛の側で鳴かせて美声を学び習わせるというものです。
鶯の見事な囀りにも天性だけでなく学びが必要なわけです。
今年の夏至の日、日照雨の中で聞かせてくれた裏山の鶯の見事な谷渡りは、今も耳朶を離れません。

  老鶯や見上ぐる峰の巌根より      石鼎

                                     原  朝子
                                    (25・7・4)














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